桂章太郎



桂章太郎(かつらしょうたろう 本名:松田秀雄 1914年5月8日生)
 [俳優]


 東京生まれ。1926年3月、旧制小学校を卒業し、同年4月、旧制・日本大学中学校(現在の日本大学第一高等学校)に進学したが、満15歳になる1929年、同校を中途退学して京都に移り、等持院の東亜キネマ京都撮影所に入社する。同社での出演歴等は不明であるが、映画界にデビューして3年を経た1932年、新興キネマと配給提携を行う製作会社・尾上菊太郎プロダクションに移籍、同年5月25日に公開された尾上菊太郎主演によるサイレント映画『直参出世鳶』(監督押本七之助)に脇役出演、木村潤子の相手役を演じる。尾上菊太郎プロダクション第二部が製作した『怪傑鬼神組』(前篇・監督清水勝人、後篇・監督郷竜二)で初主演を果たす。1933年4月、前年11月に高村正次が御室撮影所に設立した宝塚キネマ興行に移籍、『天変二筋道』『男伊達三度笠』(いずれも監督堀江大生)に主演、羅門光三郎、阿部九州男に次ぐ同社のスターとして待遇され、同年、映画雑誌『キネマ』において行われた「新進スタア推薦投票」において、第1位を獲得している。満19歳になるこのころ、1歳年下の女優・月宮乙女と結婚している。同年7月には同社では賃金未払いが発生、経営者と従業員が対立、製作も遅滞、同年7月8日に公開された主演作『男伊達三度笠』を最後に、桂は月宮とともに同社を退社する。同年8月、東京に戻って、北豊島郡西巣鴨町(現在の豊島区西巣鴨4丁目)にあった大都映画に月宮とともに入社する。同社では、社主・河合徳三郎の娘である三城輝子とのコンビを組み、『霧の中の仁侠児』(監督中島宝三)、『情艶鹿の子崩れ』(監督石山稔)、 『気まぐれ伊太郎』(監督中島宝三)、『日本巌窟王』二部作(監督中島宝三)等で人気を博した。

 片岡千恵蔵に代表される「明朗型スター」として、そのフレッシュさに将来を期待されていたが、1935年1月20日に公開された主演作『仇姿隠密道中』(監督大伴竜三)に出演したのを最後に召集され、独立守備隊に従軍、正確な日付は不明であるが、同年、満洲(現在の中華人民共和国東北部)にて戦死した。出演作は『大号令』(監督吉村操、1934年)を除き、すべてサイレント映画であった。大都映画は、同年、桂の慰霊祭を行い、ドキュメンタリー映画『故桂章太郎慰霊祭實況』を製作、同年8月8日に公開された『御存知猿飛佐助 後篇』(監督大伴竜三)と同時に内務省警保局の検閲を受けた記録が残っている。月宮乙女は、同年中は大都映画に所属、出演していたが、翌年、阪東妻三郎プロダクションに移籍、戦後、小堀明男と再婚した。

 1935年?月?日死去(享年21)


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